マドレデウスはファドか

マドレデウスについて語られる際、ポルトガルの伝統音楽「ファド」との関連についてよく言及される。そのせいか、「ファドのグループであるマドレデウス」「マドレデウスのファド」といった記述が時々ネット上で目に留まる。だが、マドレデウスの楽器編成はファドの典型からはかけ離れたものだし、曲想も「ファドっぽいものもある」というのがせいぜい。ジャンルの区別が重要かどうかはさておいて、マドレデウスとファドの関係について整理しておこうと思う。マドレデウスはファドなのか?

(1) シンプルな回答

少なくとも形式においてマドレデウスはファドではない。したがって「ファドのグループであるマドレデウス」という記述は誤りである、とひとまず言っておく。ファドではないから偉いとか、ファドではないからダメだとかいう話ではなく、単純に「マドレデウスはヘビメタではない」というのと同列の意味で、マドレデウスはファドではない。

(2) もって回った回答

「これは紛れもなくファドである」と(賞賛の意を込めて)言う人はいるだろう。「これはファドとは呼べない」と(侮蔑の意を込めて)言う人もいるだろう。つまり音楽性を評して「ファドの精神」なるものを持っているかいないかという論議はできよう。

そこでまず問題になるのは、そもそもマドレデウスが「ファドの精神」を志向しているかどうかである。月刊ラティーナ2006年11月号のインタビューで、リーダーのペドロ・アイレス・マガリャンエスが明確に答えている(聴き手は高場将美氏)。

ところで、変な質問でごめんなさい。マドレデウスは、アンチ・ファド主義でしょうか?(笑)

「たしかに、ぼくたちのレパートリーにはファドがないね。でも世界中でぼくたちはリスボンのアイデンティティをもったグループだと認められている。
 ファドは本質的に、プロではなくアマチュアの音楽だと思う。そして、古いファドは美しく素晴らしいものだけれど、メロディーに繰り返しが多くて、どの曲もみんな同じに聞こえる。和声的にも発展がないしね。そこで新しい創作活動をすることは不可能だ。
 ただし、これが大事なことだけれど、ぼくたちはファドの世界を引き継いでいるんだ。昔からよく使われる決まり文句に『静かに!いまファドが歌われるぞ』というのがある。でも、いまファド・ハウスなるものへ行ってごらん。おしゃべりや騒音の巣だよ。なにを歌ってるんだかわからない。マイクもない。伝統はあるだろうけれど、音楽環境があるとは言えないね。
 それに反してマドレデウスのコンサートでは、お客はみんな静かで、厳粛でさえある雰囲気の中で、歌を受け止める。舞台は夜の闇を思わせる世界で、その中心は黒いドレスの女性。彼女が歌い、語りかける。リスボンの人間の思いをつづった詩がある。これこそ、ほんとうのファドの世界じゃないか。
 一言で言えば、マドレデウスは、ファドの舞台装置を使って、形式的にはファドでない音楽をやっているんだ。アンチ・ファドじゃないよ。詩と音楽の融合ということは、アマリア・ロドリゲスもこころざしていた。」

ファドに対する見解、現況については異論もあるだろうけれど、少なくともファドのある面を踏襲した音楽をマドレデウスが志しているのは間違いないようだ。それができているかどうかという議論は、ファド愛好家諸氏に任せたい。私は事実関係だけを整理して逃げるとしよう。(2007/4/13)

(補) マドレデウスが属するジャンルは何か

ポピュラー音楽?

もっとも無難な回答ではあるだろう。だが「ポピュラー音楽」の定義は曖昧で、ファドのような伝統音楽を含めて言うこともある。つまり「ポピュラー音楽」では答えになっていないのだ。

民族音楽?

そもそも「民族音楽」という概念自体が西洋クラシック至上主義に根差したいい加減なものだという批判もあり、その定義も曖昧だから厳密に論じるのは難しい。

だが、マドレデウス結成の狙いが「民族音楽と室内楽の融合」というものであったのは有名な話である(「民族音楽」でなく「ポルトガル伝統音楽」という記述も見られるが原文は未確認)。但し「民族音楽」というのが何を指しているかは定かでない。形式的には踏襲していないファドを指すのか、あるいは結成時の編成に含まれていたアコーディオンが関係しているのか。

いずれにしても、従来のあらゆるポルトガル音楽と異なる形式で演奏されるマドレデウスの音楽を民族音楽と位置付けるのは無理がある。しかし、少なくとも初期において地域性を強く意識していたという点では民族音楽と無関係ではないとも言えよう。

ワールドミュージック?

ジャンル名というよりも「地域色の強い音楽の総称」といったところか。世間のいわゆる「民族音楽」を含むこともあれば、ジャンル分けの困難なものだけを指すこともあるようだ。

店舗では、ファドやマドレデウスのCDは大抵「ワールドミュージック」の棚に並べられている。恐らく売り手の都合によって定着した用語なのだろう。その意味では「マドレデウスはワールドミュージックである」と言っても何ら差し支えないが、音楽の形式を説明する上ではまったく意味をなさない。

ロック?

CDジャーナルのデータベースになぜかそう書いてある。キーボードを除き、楽器は全てアコースティックで打楽器もない。ロックの定義からは恐らく完全に外れる。

ニューエイジ?

定義の難しいジャンルだが「インストゥルメンタル中心の環境音楽」といった捉え方が一般的ではあるようだ。

マドレデウスの楽曲においては、作り手が言葉(歌詞)を極めて重視し、また集中して聴くことを聴き手に望んでいることから、この枠からも外れる。

ヒーリング? リラクゼーション?

この項執筆を放棄する。癒し系って言うな。


とどのつまり、マドレデウスはマドレデウスなのである、と身も蓋もないことを言って、これまた逃げてしまおう。(2007/4/22)


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