(2002.6.11〜2002.7.31)
901 | お帰りなさい 加藤浩司 投稿日:2002/6/11(火)1:10 |
マドレデウスの話題には事欠く日々ですのでお気遣いなく。 スリランカってどこにあるんだっけ、と今頃検索して調べてみる。そうか、ここか。知ってた知ってた。 有意義な滞在だったようで何よりです。 私の方も学生真っ青の安バイトに先日ありつくことができ、ワールドワイドに活躍する見通しが立ちつつあります(かなりウソ)。 |
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902 | はじめまして おーぞらへ 投稿日:2002/6/21(金)2:21 |
検索を追っているうちにここに辿り着きました。 マドレデウスの大ファンです。ファドについてはよく知りませんが、テレーザの澄み切った歌声は最高です。アコースティックで静謐な旋律もすばらしいです。私はケルト音楽の信奉者でもあって、エンヤやロリーナ・マッケニットなどを始め、たくさん大好きなアーティストがいるのですが、ポルトガルの音楽もいいですね。 コンサートは行ったことないのですが、また来日したらぜひ行きたいと思っています。(というか、情報に疎いので、よく知らないのですが、もしかして最近日本に来ています?) さんざん「癒し」と騒がれている昨今ですが、彼らの音楽がそれほど知られてないのは少し残念に思います。もっと多くの人がマドレデウスを聴いてくれたらな、と願っています。 それでは、どうぞよろしくお願いします。 |
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903 | 2〜3年に1度 加藤浩司 投稿日:2002/6/22(土)0:17 |
いらっしゃいませ。 ケルトというと、ポルトガル人では確かドゥルス・ポンテスが取り入れているそうですね。あとはカルロス・ヌニェスのアルバムにテレーザがゲスト参加していますね。 マドレデウスは1998年に続き、2001年に来日しています。90年代は1年おきに来日していましたが、前回は3年ぶり。次はいつになるやらと気が気ではありません。 今年はアンフィニ主催のコンサートでポルトガル人の来日はなし。ミージア、ドゥルス、マドレデウスと順繰りだとしたら次は2005年……そ、それは勘弁。 |
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904 | 新路線じゃないよね。 横山伊登司 投稿日:2002/6/22(土)13:39 |
ご無沙汰。 池袋HMVで変なもんみっけちゃいました。 CD MADREDEUS ELECTRONICO 07243 539895 2 1 CAPITAL RECORDS 最悪です。マドレデウスの純正バージョンを知るものにとっては、どうしたら音楽を悪くするのかという見本のようなものだと、私は思います。言っときますが、これはあくまでも私個人の思いです。 最後の曲、「ギターラ」にいたっては、ハワイやグァムのリゾートホテルなどでやるような火のついた棒をぐるぐる回すナイトショーの音楽のようだ。あっちのほうが、はるかにましだ。悪夢だ。夢に違いない。 もし、マドレデウスが将来この路線で行くつもりなら、断然抗議するぞ。 日本を棚において、わたしはあえて言いたい。 ポルトガルよ!。そりゃ負けることだってあるさ。だけど、おまえには代え難い個性がある! ほかにはぜったいにない魅力がある! どうか、自分を見失わないでほしい! 私は壊れたかも。修理しなきゃ。 |
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905 | 加藤浩司 |
(ログ紛失) |
906 | 補足 加藤浩司 投稿日:2002/7/1(月)23:09 |
フィーゴの八百長発言疑惑は誤報だったそうです。 でも取消しや謝罪の報道が殆どないとか。そりゃひどい。 |
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907 | テレーザちゃん大好き! 中年のカトちゃん 投稿日:7/6 0:16 |
はじめてカキコみます。 この掲示板にはいくつかのファド関係の掲示板を経てたどりつきました。まーでも、いろいろとマドレウスのことが詳しく知ることができて実に素晴らしいHPですねー。 そのマドレデウスは、やはりテレーザちゃんのファンでして、憂いを持った黒い瞳がいいですね。そうやはり翳りがいい。唄にもその翳りが感じられるし・・・。 そのアルバムはそんなに持っているわけではありませんが、私には初期のころの作品に引かれます。あの魂の告白〜太陽の果実あたりを聞くと、遠い昔、自分が小学生の頃、昼下がりのアパートの団地の歌壇でひらひら舞うアゲハチョウやヒョウモンチョウを無心に追いかけていて、あるときふと気づくと、辺りは暑い昼下がりなのに回りにはだーれもいなく、静寂だけがただよっていたあの何ともいえない一人ぼっちの自分を思いだします。妹とは八つも年が離れていたし、両親があの頃としては珍しい共働きで、カギッ子だったという心の底での淋しさも働いていたんでしょう。それで、妙にあの曲を聴くと、タイムスリップしちゃうんです。 まあ、曲の抽象的論理的な解釈はできませんが、体験的告白的解釈があってもいいですよね。 それにしても、来日だけではなく、九州にも公演してほしいものです。 |
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908 | ご無沙汰しました ななこ 投稿日:7/6 10:08 |
お久しぶりです。加藤さん、みなさん、お元気ですか? ネット環境の不備等々で、しばらくこの掲示板に来ることができなかったんですが、その間に何か重大な情報(コンサート情報とか)を逃しているんじゃないかと気になっていました。 思えば、私が初・生テレーザの美声に酔ったのは、もう1年以上も前のことなんですねえ。今でも、オーチャードホールという名称を見かけるたびに、昨年のコンサートのことをありありと、(詳細にではないけど鮮明に)音声・映像つきで思い出します。音声・映像付きで思い出せるというのは、ちょっと得した気分です。一人満足してるだけですが。 ということで。では、また。 |
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909 | ジュリエット・グレコ? 加藤浩司 投稿日:7/6 22:50 |
中年のカトちゃんさん、いらっしゃいませ。誉めていただいて光栄です。しかしここ数ヶ月はすっかり更新を怠けております。 「魂の告白」に「太陽の果実」、あのアルバムの聴き所ですね。子供の頃を思い出すというのは興味深い感想です。ホントらしくていいと思います。 九州公演となると、93年の天草が最後でしょうか。ポルトガルといえば種子島。九州は馴染みの深い地ですが、だいぶご無沙汰になってしまってますね。 ななこさん、お久しぶりです。重要な情報というとあれですか、私がヒゲを剃ったとか、いや、そんな情報は流していませんが。 今アンフィニのホームページを見たら、ジュリエット・グレコなるフランス人歌手が10月に来日するという情報。どなたかご存知ないですか。 あれ、横浜にも来るじゃないか。アンフィニの呼ぶ歌手なら期待できるかしら。もうチケット発売してるなあ。 |
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910 | ジュリエット・グレコ 中年のカトちゃん 投稿日:7/6 23:48 |
加藤さんこんばんわ! 近くの飲み屋で一杯ひっかけて戻ったら、メッセージが入っていてうれしくなり(ホント単純なのです。)、また、カキコしました。ぼくは、ファド歴はあまり長くはありませんが好きなジャンルの一つです。話は変わりますが、J・グレコについてですが、彼女はシャンソン界の大物でして、自分が高校生の頃、レコードのカタログを見てその美貌に憧れていました。で、年はもう
75歳くらいです。(自分が高校生の頃は30台半ばだったのかな。)ですから、おばあさんですし、声量は期待できないかもしれませんが、でも歌のうまい人なのでそのエッセンスは伝わってくるでしょうね。日本でも現在でもオムニバスも含めCDは出ていますが、ちなみにぼくは、PHILIPSの2枚ぐみ(PHCA51〜52)を持っています。曲はシャンソンの名曲から彼女のヒット曲が入ってます。詳しくは、フレンチ・ポップス歌手のミレイユ・マチューを検索するとそのHPが出てきますが、それにリンクしている「サ・ガーズ」をアクセスするとシャンソンのHPですので、その中で詳しい情報がえられます。(スミマセンまだ、インターネットに疎いのでこういう情報の提供しかできません。) ぜひ検索してみてください。 |
911 | 新春シャンソンショー 加藤浩司 投稿日:7/8 21:02 |
情報ありがとうございます。 シャンソンといえば私の傾倒する今江祥智(作家)がイブ・モンタンの大ファン。気になるジャンルではあります。でもイブ・モンタンはよくわからなかったなあ……。そういえばアマリア・ロドリゲスの代表曲の中にもシャンソンありましたか。うろ覚え。 ジュリエット・グレコの公演も字幕付きだそうです。 98年の来日公演のレビューを発見。 http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/konojune/98/98o5n.htm ザ・ガーズというのはここですね。グレコは1927年生まれですか。 http://la-chansonet.com/ |
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912 | マドレデウスは音楽療法にもグー! 中年のカトちゃん 投稿日:7/9 12:45 |
加藤さんこんにちわ。 今日は休みなんです。いま、近くのスーパーでお惣菜を買ってきて、発泡酒で景気をつけながらカキコしてます。それにしても、こちら宮崎は台風の余波で雨がすごかったり蒸し暑かったりでもう大変。 ところで、マドレデウスは長崎まで来たんですね。知らなかったー。今度は来日はいつなんでしょうかね。 個人的にはD・ポンテスさんも好きなんです。歌もいいし何というか清楚な女性が好みなんですよねー。彼女のファドだけに捕われないモダンかつトラッド感覚も素敵だと思います。 話は変わりますが、ぼくは障害者の大人の施設で働いてます。ふだんは作業が中心で、空き缶の回収やつぶし方などバター屋さんみたいな仕事をしてるんですが、時折障害の重たい人たちを集めて、音楽療法みたいな真似事もやったりします。 リズム楽器をかき鳴らしたり、身体を動かしたり、同僚の弾くピアノでトランポリンを飛ばせたり等々・・・。で、もちろんバロック音楽の協奏曲じゃないけど、急の部分ばかりじゃだめなんで、緩のところもあり、彼らを音楽を流しながらゴザの上でごろごろさせるんですね。アロマセラピーもやったりして・・・そのとき使うのがマドレデウスの例の曲なんです。テレーザちゃんの歌声はヒーリング効果もあり、みんなゆったりしていますよ。 しょうもないおしゃべりでした。 Aロドリゲスさん、たしかにシャンソンも歌ってますよね。彼女はファドだけにこだわらず当時のそうしたヒット曲(ブラジルのボサノバ等も。)を積極的に取り上げて歌う姿勢は実に前向きでしたよね。 |
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913 | 泉泰弘 投稿日:7/11 8:48 |
「中年のカトちゃん」さん、はじめまして。 私もテレーザちゃんやポンテスちゃんは大好きで、国内で手に入るディスクはあらかた購入しました。ポンちゃんには来年あたり新作を発表してくれないかと期待しています。 ロドリゲスさんはベスト盤を持っているだけですが、その中ではなぜかフランス語で歌われている「わが心のアランフェス」(「アランフェス協奏曲」第2楽章)が一番好きだったりします。(他に私が持っているのはホセ・カレーラス、サラ・ブライトマン、そしてミルバだけですが)他の歌手による同曲より断然良いと思います。 ところで「カトちゃん」の本名はやはり「加藤さん」なのでしょうか? だとすれば、もうお一方をどうお呼びしたらよいか? やはり「少年のカトちゃん」ですかね..... そうそう、ラジオフランス語講座応用編のテーマは7月から9月までは「20世紀のシャンソン」です。初回はモンタンの「バルバラ」が取り上げられました。 |
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914 | 中年のカトちゃん 投稿日:7/11 22:12 |
泉さん、こんばんわ。さすが、フランス語をラジオ講座で勉強しているのですね。イブモンタンのバルバラは、歌手だったバルバラのことを歌っているのでしょうか? 一度聞いてみたいと思いまーす。 ポンテス嬢、言われるとおり最新作のアルバムがほしいところですよね。 彼女の歌声は、A.ロドリゲスの再来といっても良いような声量と技量、そしてリスボンそのものという気がしますが・・・。 名前の方、想像にお任せします。が、人間的に実にいいかげんで奔放なので、ハンドルネームでよ・ろ・し・く! |
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915 | 早々にレスを頂き恐縮です 泉泰弘 投稿日:2002/7/13(土)10:23 |
「ジャック・プレヴェール(詩)&ジョゼフ・コスマ(曲)という黄金コンビ(『枯葉』を筆頭に数え切れないほどのシャンソンの名曲を残した)による『バルバラ』」と書いた方が良かったかもしれませんね。バルバラは特定の女性ではなさそうです。 私は特にシャンソンに詳しいわけでも何でもありません。イブ・モンタンについても実際に聴くまでは女性と思い込んでいたほどです(だって名が「アダムとイブ」の女性の方なんだもん、と言い訳)。シャンソンだけのアルバムというのも持っていません。敢えて挙げればジェシー・ノーマンとミシェル・ルグラン・トリオの共演盤でしょうか。(半分は英語曲ですが・・・・)まさに「上品な音楽」という形容がピッタリと来ます。(私はノーマンのオペラは大味な感じがして好きではないのですがなぜか彼女のフランス語曲は心に響きます。で前述のアルバムを買ったら期待をはるかに上回る大当たりだったという訳です。)他にミルバやウテ・レンパーの歌うシャンソンもお気に入りです。 それから私は語学力がこれ以上落ちないように(ほとんど使う機会のない外国語がさび付かないように)という意図でNHKの語学番組を半分聞き流しているだけです。ただし歌が取り上げられる場合は必ず聴きます。歌は耳障りにならない限りにおいて何語でも好きですから。ということで、毎週金曜日放送の「歌で楽しむドイツ語」も1年間聴き続けることになると思います。 次にポンテスちゃんですが、確かに清楚な感じですね。私は彼女については音楽に対して非常に真摯な態度で向き合っているという印象も持っています。この点については(惜しいことに今年2月に90歳で亡くなりましたが)禁欲的といえるほど厳しい態度を最後まで貫いた指揮者のギュンター・ヴァントに近い感じがします。(ポンテスとヴァントを結びつけようとするのは私ぐらいでしょうね。) 最後になりますが(遅ればせながらですが)、カトちゃんは障害者の世話という本当に立派なお仕事をされているんですね。私はマドレデウスのような厳しさを持った音楽が「ストレス解消」(ヒーリング)とか「安らぎ」(リラクゼーション)といったいわば安易な聴き方をされることに対しては、「ちょっと違うんじゃないか」と抵抗感を抱いてしまうのですが、カトちゃんの「音楽療法」によって身障者の方々が文字通り身も心も癒されるというのは本当に素晴らしいことだと思います。 |
916 | (題名なし) 中年のカトちゃん 投稿日:2002/7/13(土)12:13 |
暑いですねー。台風の余波なのか、昨日とは打って変わってムシムシします。ところで、昨日、職場帰りに図書館に立ち寄りイブモンタンのアルバムを借りてきました。ありましたよ例の曲。とても心に染み入るいい曲ですね。で、訳を探したけどフランス語しかない。(仏語はさっぱりなんです。) | |
917 | (題名なし) 中年のカトちゃん 投稿日:2002/7/13(土)12:50 |
しまった!!間違って押してしまった。 続けます。泉さんは中々の勉強家なのですね。私もスペイン語を何年か前からNHK−TVでチャレンジしているのですが、なかなかです。でも、地元にアルゼンチンからタンゴの楽団がきたとき、サインをもらうのに簡単なあいさつとその趣旨を西語で伝えたら通じ合えた時はうれしかったなー。(自己満デス)もう一度気合をいれてがんばるぞ! それからウテ・レンバーという人は知りません。記憶にとどめたいと思います。ミーナはいいですね。60年代にカンツオーネで名前を耳にしたひとですが、年を重ねる中で磨きのかかってきた歌手だなという印象をもっています。ここ近年は、A・ピアソラとの競演で話題を呼んだようですが、そのアルバムは大変気に入って(とりわけ「忘却」なんかは官能と陶酔の世界へ引きづり込まれる感じです)ます。 |
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918 | プレヴェール 加藤浩司 投稿日:2002/7/14(日)23:38 |
おやあ、泉さん復活ですね。 プレヴェールというと、今江祥智が紹介した詩が強烈に印象に残ってます。題名は忘れました。 天にましますわれらの父よ 天にとどまりたまえ われらは地上にのこります 地上はときおりとても美しい…… 好きな詩というと、これしか思い浮かばない。まだ続きがありますが、全文は読んだことがあるようなないような。そもそも題もわからない。 マドレデウスを聴いた時の反応は極度に緊張するか極度に弛緩するかどちらかでしょうね。両方同時にという気もします。 |
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919 | お二方へ 泉泰弘 投稿日:2002/7/16(火)08:30 |
◆加藤さん 今江氏が紹介していたというまさにその詩が今週金曜日(19日)のラジオ講座で取り上げられます。題名は「パテル・ノステル」でテキストには全文および訳が載っています。非常に愉快かつ素敵な詩ですね。プレヴェールの詩の特長は韻の踏み方の巧さ、およびアレクサンドラン(12音節を1単位とする詩句ということで七五調みたいなものでしょうか?)の効果的な用法であると放送では解説されていました。 ところで彼はよっぽど学校の勉強が嫌いだったようで、授業が途中でメチャクチャになってしまうような詩をいくつか書いています。(先週紹介されました。去年のテレビ講座でも朗読されていたような・・・・)そんな「やんちゃ坊主」がそのまま大人になったからこそ、権威をコケにするようなユーモアたっぷりの詩が書けたのだろうと思います。 ◆カトちゃん 私が持っているミルバさん(ミーナさんも大歌手ですが、ピアソラとの共演はミルバではなかったですか?)のCDには「ブエノスアイレスで私は死のう」「忘却」というピアソラのタンゴ2曲が入っています。NHK教育テレビの「芸術劇場」で見たと記憶しているのですが、彼女はピアソラ唯一のオペリータ(小オペラ)「ブエノスアイレスのマリア」を歌う自信がようやく持てた、というよりこれを歌うのは自分しかいないと思えるようになって、最近ようやく主役(マリア)を演じたそうです。彼女の歌う「ブエノスアイレスのマリア」がCD化されたら入手したいと思っています。なお、先述したCDに収録されている「夜のタンゴ」が今週金曜日のラジオドイツ語講座で取り上げられます。最初は別の歌手のようですが、彼女の歌も放送される予定です。 話は変わって、レンバーさんは1963年生まれのドイツ人女性歌手です。何といっても「三文オペラ」に代表されるクルト・ワイルのナンバー(独仏英語曲あり)が素晴らしいのですが、シャンソンのスタンダードやマイケル・ナイマン(映画「ピアノのレッスン」の音楽で知られる英国人作曲家)の歌曲といった多才なレパートリーを持っています。こうして見ると私はこういったマルチな人が好きみたいですね。 |
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920 | OH! ミステイク 中年のカトちゃん 投稿日:2002/7/16(火)21:00 |
泉さんこんばんわ。大変なミスをやってましたね。打ちこみながら、多分、ミーナのことを考えていたんでしょう。(彼女は、自分が中1のときに、砂に消えた涙でヒットを飛ばしてましたよね。) 例の「ブエノス・アイレスのマリア」というオペレッタ(?)は60年代後半に、BsAsで大ヒットしたと記憶しています。あのときはかつてピアソラの妻だったアメリータ・バルタールが主演していたと思います。私も、NHK−FMラジオで彼女の唄「ロコへのバラード」を聞き、タンゴもえらく変わったものだと思いました。 ところで、ミルバはご存知だと思いますが、ピアソラとの競演アルバムを出してますよね。私も、1枚のみのやつを持っていますが、大変気に入ってます。特に「ブレヒトとブレルの間で」という曲も聞き応えがあります。「夜のタンゴ」も私も大好きな曲の一つです。思春期の頃、ハウゼやマランドの演奏で親しんできました。ミルバの唄も大戦前夜の怪しい雰囲気がただよっていて素敵だと思います。ラジオでは別な人も歌っていたということですが、マレーネ・ディートリッヒとは違いますよね。 泉さんは自分はマルチ人間かもと言われていますが、私も似ているかも知れませんね。 |
921 | (題名なし) 中年のカトちゃん 投稿日:2002/7/17(水)00:31 |
度々、失礼します。下の文の後半、仕事の疲れで、眠気を我慢しつつぼーっとして打ったので、叙述が繋がっていませんでした。私も、泉さんと同様にマルチの歌手が好みだという意です。訂正します。大変失礼しました。 | |
922 | カトちゃんへ 泉泰弘 投稿日:2002/7/17(水)07:52 |
お仕事でお疲れとのこと、私へのレスについても無理をなされぬようお願いします。 私はマルチな人が好き。で私自身は(栽培用の)マルチを扱う人間だったりします。 |
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923 | 電子マドレデウス 加藤浩司 投稿日:2002/7/20(土)00:59 |
http://www.madredeus-electronico.com/ ここで全曲の序盤が聴けます。 あちこちクリックしてみよう。曲入りカードが送れたり壁紙やスクリーンセーバーがダウンロードできたり全曲のオリジナル版(の序盤)が聴けたりします。 ―― プレヴェール情報ありがとうございます。その詩の「時々」という言葉のあまりの深さに私はノックアウトされました。 |
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924 | ウーテ・レンパー ドイツ語や 投稿日:2002/7/20(土)14:38 |
すみません。横槍になってしまうのですが、 こちらで話題のドイツの歌手はUte Lemper(ウーテ・レンパー)です。 ゛か゜の違いですが検索されたときに引っかからないと思われますので…。 私も彼女のクルト・ヴァイル歌集1枚持っています。 |
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925 | 感謝 加藤浩司 投稿日:2002/7/20(土)23:19 |
ドイツ語やさん、こんにちは。ご指摘どうもありがとうございます。 名前を間違った人は厳罰に処します(ウソ)。 |
926 | はじめまして tochan 投稿日:2002/7/21(日)22:49 |
はじめまして。先日CSチャンネルで見たヴィム・ヴェンダースの映画ではじめて、マードレ・デウスを知りました。 ポルトガル関係のHPでなんか情報があるだろうと思っていたら、このページに出会いました。マリア・デル・マールの様なゆったり、寂しい、なつかしい、なんとも言えないムードがいいですね。映画で使われた曲しか知らなかったので、さっそくこちらで見つけた、HPを見てみました。CD買おうかな〜。 |
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927 | お詫びです 泉泰弘 投稿日:2002/7/22(月)07:57 |
あれれ? 私の持ってるディスクでは「ウテ・レンパー 」になってる。 発音は「ウーテ」の方が近いんだろうけど。 アマゾンで検索しても「ウテ」ならヒット4件、「ウーテ」だとゼロ。 ところで先日紹介した「夜のタンゴ」、ミルバの歌は結局放送されませんでした。 テキストには予告されていたのですが、講師と詩の朗読担当者が番組のために録音したバージョンに差し替えられていました。私のせいではないのだけれども嘘を言ってしまったことに代わりはありません。お詫びします。 |
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928 | レンパー ドイツ語や 投稿日:2002/7/22(月)21:47 |
すみません。ウーテ・レンパーのことですが、本来発音は「ウーテ」が正しいのですが日本では「ウテ」といわれているのかも知れません。 本題は苗字の方で、「レンバー」(゛)ではなくて「レンパー」(゜)のことを言いたかったのです。 言葉足らずで申し訳ありません。 |
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929 | 紛らわしい 加藤浩司 投稿日:2002/7/22(月)22:01 |
tochanさん、いらっしゃいませ。 映画というと「リスボン物語」ですね。もしCDを買われるのでしたら、そのサウンドトラック「アインダ」などはいかがでしょうか。 先日出た「MADREDEUS ELECTRONICO」は決して悪くはないと思いますが、やはりキワモノですので1枚目にはお薦めできません。なんて、ちょっと押し付けがましいかな。 泉さんはドイツ語やさんにケチを付けたつもりはないんじゃないかと思います。この方は時々こういう紛らわしい書き方をするので気にしないで下さい。 ポルトガル人も片仮名表記はまちまちですね。特にロドリーゴ・レアン。レオンだったりリャオだったりレアォンだったり。巨人のピッチャーだったサンチェスがサンチェにされていたのはいかがなものか。 |
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930 | すんません 泉泰弘 投稿日:2002/7/23(火)08:31 |
ドイツ語やさんの投稿をちゃんと読めば「本題は苗字」であることは一目瞭然ですね。読み方が足りなかった、というより完全な読み違いでした。お詫びします。(ちなみに私はずっと「レンper」で通しています。) 加藤さんが振ってきたテーマ(人名表記)ではいくらでも書けてしまいますが、今回はやめときます。 なお、下でtochanさんが「マードレ・デウス」と書かれていますが、私も以前から「マードレ」と伸ばす方が何となくですがしっくりくると思っています。("Madredeus"との整合性を考えたら「マードレデウス」と一語にするべきでしょうけど。)発音する場合、「マドレデウス」だと寸詰まりみたいな感じがします。もっとも定着してしまったものを今更変えるのは難しいでしょうが・・・・ 「マリア・デル・マール」とはボネットさんのことでしょうか? 私は「炎の馬」を持っていますが、なかなかに良いですね。特に「鳥の歌」が素晴らしいと思います。 |
931 | また、おじゃまします tochan 投稿日:2002/7/23(火)21:06 |
こんばんは また、おじゃまいたします。泉さんの言う通り、「マリア・デル・マール」はボネットのことです。バルセロナに住んでいたころに、地元の友達にテープをもらったのが、出会いです。おととし、またバルセロナへ行ったときに、ライブのポスターを見かけたのですが、行けなくて残念でした。スペインを知るまでは、あまりあっちの音楽には興味はなかったのですが、スペイン語、ポルトガル語の響きに惚れてからは、もう、フリオ・イグレシアスにまで。 「いいな〜・・・」と感じるようになってしましました。スペイン語、ポルトガル語の歌詞に聞きなれてしまうと、なんと英語が味気なく聞こえてしまうことか!そんなわけで、少しだけスペイン語が話せるので、Madredeusというスペルではマードレ・デウスと書きました。マリア・デル・マル・ボネットはカタラン語で歌っているので、(私の持ってるテープでは)意味はほとんど解りませんが、マドリッドなどの南部にはにはないバルセロナならではのムードがあるな〜と勝手に解釈しています。 加藤さんアドバイスありがとうございます。彼らの今までの経歴を見ると、いろいろ音楽性が変わっているようなので、どれをピックアップすればいいかな〜なんて思っていました。一番新しいアルバムはトランス系が好きな人にはいいかもしれませんね。この冬また、バルセロナへ行く予定があるので、スペイン、ポルトガルのアーチストをもっとチェックしてきます。その時にはいろいろ教えてください。また、ちょくちょく参加します。それでは |
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932 | 電子マドレデウス・・う〜ん。 中年のカトちゃん 投稿日:2002/7/24(水)16:30 |
電子マドレデウスは、私にはいまいち馴染めなかったです。 時間とともに良さが分かってくるのかもしれませんが・・・ やはり、私が彼らに求めるのは、暗愁(哀愁)、懐かしさ、憧れでしょうか・・・それとポルトガルというかつて大航海時代に繁栄した国がレリックとして存在しつづける歴史的な深みのなかでの民衆のうめきなんでしょうか。 テレーザちゃんのは、A・シャイーニョの演奏で歌っているCDは、そうした点でとても満足でしたが。 ところで、こっちは台風接近中です。ぼちぼち、それに備えなくっちゃ。 |
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936 | 読み違いかい! 加藤浩司 投稿日:2002/7/25(木)01:07 |
うーん、私も入門者に毛の生えた程度とはいえスペイン語をかじったことがありますが、madreはマドレの方が違和感ないなあ。でもamigoはアミーゴなのでmadreの方も大した根拠はなかったりして。 tochanさん、ぜひまた書き込んで下さい。 「MADREDEUS ELECTRONICO」はやはり賛否両論ですね。私は「いい」と思いつつどこか好きになり切れないというのか。要するに偏屈なだけか。 |
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937 | (題名なし) 中年のカトちゃん 投稿日:2002/7/25(木)02:00 |
加藤さんこんばんわ! 何やらカタカナの表記の仕方で盛り上がっていますね。農業系の学校出身の私としては、専門外なので、あくまでも専門論議じゃーなく、談義という立場でしか加われませんが、やはりアルファベットを日本語のカタカナで表記するところに、主観やムリがはいるのではないかと思います。 たとえば、シュワちゃんが主演したアクション映画や「セント・オブ・ウーマン」で踊られていたタンゴの名曲で「首の差で」というのがありました。これはスペイン語でPor una cabesaとなり、解説書やCDジャケットのタイトルでは、従来から「ポル・ウナ・カベサ」となっていますが、これなんかも僕は、スペイン語の下から2番目のほうにアクセントがある規則からみても「ポル・ウナ・カベーサ」の方が自然な感じがします。(amigoのアミーゴも同様でしょう。)まったく見当違いかもしれませんが一考を・・・。 >泉さん。てなわけで、私はマルチには学生時代、百メートルもある畝のレ タスの播種でマルチの穴にコキ使われてきました(笑)。 |
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938 | 若干の補足 中年のカトちゃん 投稿日:2002/7/25(木)02:19 |
舌足らずでしたので若干の加筆・補足をさせてください。 > 「セント・オブ・ウーマン」で踊られていた・・・ 映画「セント・オブ・ウーマン」(アルパチーノ主演)で踊られていた・ > スペイン語の下から2番目のほうにアクセント スペイン語の下から2番目の母音にアクセント 以上です。 |
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939 | いい加減 泉泰弘 投稿日:2002/7/26(金)08:43 |
私も西語からカタカナへの変換については色々考えてみました。 Julioは「フリオ」でいいが、Frio(iにアクセント記号)は「フリーオ」と記したい。 ならばアクセント記号付きの場合に長音記号を入れるのかなと思ったのですがMaria(同じくiにアクセント記号付き)は「マリア」で「マリーア」とはしたくない。 こうしてみると結構いい加減ですね。 (でもPadreとMadreはやっぱり「パードレ」「マードレ」だな。) ◆カトちゃん そうでしたか。文字通り同じ「畑」の出身だったわけですね。 (私が行っていたのは作物残渣や雑草による天然資材マルチの研究です。) |
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940 | le ciel de paris mio 投稿日:2002/7/27(土)01:20 |
bon soir, how are you ? Kato san , you changed your HP !nice! i'm in Paris now and my journey goes on to the south east. By far i have experienced precious moments of music in each country. Andadlucia was great! I loved the strong sun and open-minded people. All the cultures have their originality, and musics are the total reflections. in Paris i will experience lots of African groove tonight with my new Martinique friend who i met in the train. Actually i played music inside the night train from Lisbon to Paris with people i met. i hope to report all about my bimbo-journey soon after i come back. ate logo!!!! |
941 | MIOさんのこと&掘るのココロ 中年のカトちゃん 投稿日:2002/7/27(土)06:46 |
MIOさんのHPをお気に入りに取り込んで、ときどき見ています。 お若いのにファドについて、良く深めているなーと感心しています。いままでどんな説明を読んだものよりも興味をそそられました。それも、ドウルス・ポンテス嬢の「暗いはしけ」の原詩での歌に衝撃を受けたことからの、疑問やこだわりがあったからでしょうが・・・。MIOさんは4月に長崎で ライブをやったそうですが、あのころは体調を崩し入院していました。でも見たかったなー。また、九州で(できれば宮崎か熊本、大分あたりで!)コンサートをやってほしいなー。 外国語のカタカナ表記談義 僕も、泉さんの意見に同感です。MADRIDにしてもあちらの人たちは、マドリーという発音で、「ド」は発音しないかほとんど聞き取れない感じの発音ですよね。でも日本ではマドリードで定着しているしふつうそれを発音するときは、スペイン語のそれともアクセントの位置が違う。まあ、こうやって、日本人は外国語をいい加減にあいまいに且つうまく、言葉の文化に取り込んできたんだろうし、そうして長い時をへて外来語の位置までなった言葉もあるんでしょうね。だから、アルファベットをカタカナという独自の日本語文化にとりこむときの面白さと、アクセントや発音の仕方の限界、導入された時期の外国語の認識レベルや日本の文化レベルなどさまざまな問題もあると思います。(この点では、小林秀雄氏のモーツアルト論の表記の仕方が、いかにも年代を感じさせますよね。)勿論、現代では音楽産業の売りこみ手の思惑(このほうが売りこみやすいし覚えてもらえやすい)ということでカタカナ表記も決まったりするのじゃないのでしょうか・・・。だからマドレデウスにしてもそういうことなのでしょうね。どちらがより、ポルトガル語に近いのかというレベルじゃなく・・・。 > 泉さん、同じ畑の人間のようで、僕は土を掘るように、泉さんは農芸化 学の分野から「掘り下げる」のが好きな人種のようですね。(笑) |
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942 | 元ちとせに浮気 横山伊登司 投稿日:2002/7/27(土)20:40 |
こんにちは。 松田美緒さんは、元気で旅してるようでなによりですね。 月一ぐらいでCDショップめぐりするんだけど、近頃ポルトガル関係はいいのないね。 そこで、浮気して元ちとせのCD買って聞いちゃいました。ひさびさに感動したあ! 「元ちとせ 故郷・美ら・思い」という奄美の伝統の島唄を録音したものです。奄美と沖縄は別の文化圏ということを以前なにかで読んだことがあるけど、これを聞いてはじめて納得した感じです。琉球音階は使っていなくて、たぶん本土の民謡の音階と同じじゃないのかな。彼女は奄美の島唄でもトップクラスのようですね。最近のヒット曲は断片的にしか聞いたことがないけれど、彼女のアイデンティティーは強く揺るぎなくこの島唄にあるのだろうなーと確信しました。若いうちに何かこういう一本筋の入った芸を身に付けた人は強いでしょうね。一方、一旦伝統を身に付けたうえで、それからさらに新しいものを創作していくのは大変なんだろうなとも思います。彼女は島唄を職業にはしないみたいなことを書いているのをどこかで読んだので、もう聞けないのかなと寂しいです。マドレデウスねたでなくてすいません。 マドレデウスも、テクノだかなんだか、げてものに身売りするんじゃねーっ!つーのっ! |
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943 | 俺の唄を聴け 加藤浩司 投稿日:2002/7/28(日)11:53 |
mioさんパリですか。あちこちで唄いまくって友人を得ているようで何よりです。私が唄うとなぜか友人達が離れて行くのですが。 お、私より数段偏屈な横山さんだ。身売りと言っても出来不出来はカバーする側の問題ですしねえ。 今度元ちとせのテクノバージョンが出るらしいですよ。ウソ。 |
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944 | パドレデウスとの違い 真否 投稿日:2002/7/29(月)00:25 |
テクノを総括してゲテモノ扱いするのはよろしくないですたい。 確かに、試聴する限り、あまりよろしくないですけど。 しかし、むしろ、マドレデウスならば、行き着いて当然の場所ではないでしょうか。 あそこまで行き着いてしまえば(しまう者ならば)、さらに視野を広げたい(広げねばならない)だろうし。 旧来のファンは減るだろうけど、おいどんとしては次作がますます楽しみです。 ただ、テクノというよりもエレクトロニカと呼ばれるものなんですが、マニト−バは、ソロアルバムを聴いていただきたいです。 さすれば、テクノへの偏見もなくなるのではないかと。 加藤さんも横山さんも偏見(偏屈)を偏見(偏屈)と知ってて書き込まれているようなので、お二人を広い者と推察し、それだけに、聴いてみていただき、感想などを聞かせていただきたいのですが、どうでしょう。むろん、 御自分で買っていただきたい。駄目ですよね。 ちなみに、厳密な定義はないように思っていますが、私なりに言いますと、テクノというのは主にダンスミュージックであり、エレクトロニカというのはダンスミュージックではありません。 電子音て、ときに哀しいんですよ。認識等も加味されるのでしょうけれど。 元ちとせって凄いんですか? |
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945 | 真似事CDならある 加藤浩司 投稿日:2002/7/29(月)09:44 |
あれえ、手元に保存してあるはずのログが一部ない。しかも私の投稿が。なんてこった。 テクノ自体は、のめり込んではいないけど決して嫌いではないですね。元々アコースティックでなく電子音楽から音楽を聴き始めた口ですし。 テクノの真似事みたいなCDは持っていて、ちゃんとしたテクノも聴いてみたいと思いつつ何年も手付かずなんですが。エレクトロニカというのが音楽の一ジャンル(スタイル?)であることする知らなかったというレベルです。 元ちとせ、私は聴いたことがないですが評判いいですね。昨日古本屋で流れていた沖縄風ポップスがいい感じでした。あれかもしれません。 「Vanishing Point」が手に入りません。HMVでダメだったので今度はAmazonで輸入盤を注文してみました。配送まで3〜5週間とあるので怪しいです。 |
946 | 偏屈とは、なんとうれしいおことば 横山伊登司 投稿日:2002/7/29(月)23:48 |
こんばんは。真否さん、どうもー。 私も、テクノとか、アンビエントとか、よく知らないのです。クラブ系ダンス・ミュージックとかいうディスコの音楽なんじゃないのかなーぐらいの認識しかありません。ずれてますかね? エレクトロニカというジャンルもあるなんて、もう異次元のお話のようで、なにがなんだか…。ただ、Madoredeus Electronicoといったら、「電子化したマドレデウス」というような意味で、どちらかといえばアコースティクないままでのマドレデウスに対するアンチテーゼ的な意味合いもあるのかなーとも思われます。 しかしMadoredeusの名を冠している以上、マドレデウスも承知の上でリミックスあるいはリリースしたということだと思います。私が「身売り」と称したのは、まさにこのことなのです。マドレデウスのいままでのすべてのアルバムには、たとえメンバーが変わっても、断固として一貫した彼らの個性ある美意識というものを感じます。ほんの一例ですが、たとえば、それは打楽器を使わないところとか、ギター奏法もあくまでもフィンガーピッキングがメインでがさつなコードストロークを多用しないこと、キーボードの音色も従来の楽器に似た音色を用いて、いかにも電子楽器というような音色は使わないこと、常にSaudosismoを意識していることなどなどです。私は、そういった彼らの音楽に共感し、気に入ったわけです。しかし、Madredeus Electronicoの音楽は、私には、マドレデウスがいままでやってきた音楽とは全く異質なものであり、彼らの目指している延長線上の音楽だとはとても思えません。…でげてもの呼ばわりになったわけです。これは、テクノと呼ばれる音楽ジャンルに対する偏見などということとは、まったく別の問題なんです。 元ちとせについては、私が感動したのは、彼女の最近の曲ではなくて、1996年8月彼女がまだ高校生のときに録音した、自らひく三味線と合いの手だけで、奄美の島唄22曲を歌ったものです。こんな大衆芸能の伝統があることすら知らなかった。沖縄の島唄とはかなり違うよ。もう5回ぐらい聞いちゃった。www.simauta.net/で一曲聞けたはず。凛とした制服の元ちとせにも会えるよ。ほかにも何曲か聞けたサイトがあったと思ったけどみつからなくなっちゃった。ネット検索は、みなさんのほうがお得意でしょう。 |
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947 | マコレデウス 真否 投稿日:2002/7/30(火)04:34 |
今までのマドレデウスの音楽から想定したマドレデウス像が好きであり、今までのようでなければ、マドレデウスは駄目ということなのでしょうか。 僕の場合は、マドレデウス自身が承知しての事ならば(つまり横山さんが仰るところの身売りであるならば)、それこそが本当のマドレデウスだったと思います。 Madredeus Electronicoについては、彼らは原曲を提供しただけですから、確かに、マドレデウスがいままでやってきた音楽とは全く異質なものですね。 Madredeus Electronicoの内容とマドレデウスオリジナルの内容をそのまま結び付けてしまうのは早過ぎですよ。要は、提供したことへの賛否ということでしょうか。 しかし、提供したことについて、僕は賛成したいんです。 リミクスとか、形式からして既に嫌いですが、マドレデウスも意図なく許可したわけではないでしょう。その意図が興味深い。 テクノなんて、マドレデウスに比べればほとんどつまらないモノばかりで、ただ、ジャンルとしてもっとも興味深いことは確かではないかと(踊らない方です)。 従来の楽器では表現し得ない人間本質というのもあるんですね。 電子音は、ところにより既に恐ろしいほどに深いですし、さらに深くなり得ます。 HMV相変わらず駄目ですね。僕も1年以上前に発注した物をまだ探してもらってます。 真面目に探す気あるのかわからないですが。だいたい大手レコード小売が1年も探すということが不可能と思える。アマゾンの方がまだ頼りがいはありますね。あやしいですが。 加藤さん、オヴァル(oval)というゲーム音楽に参入しようとしている輩がいるんですが、オススメ。 |
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948 | 刺身食わせろ! 加藤浩司 投稿日:2002/7/30(火)20:23 |
今までと違うからダメというより、要するに「考えがあってカバーを承諾したんかいコラ」という話なんじゃないでしょうか。 とりあえずマドレデウスのメンバーはああいうジャンルに対する造詣はあるでしょうね。キーボードのカルロスなどはニューエイジとかアンビエントとか分類されるようなアルバムを出しているし。 「MADREDEUS ELECTRONICO」の場合は、おいしい刺身をわざわざ煮込んでしまったようなもったいなさを感じなくもありません。生であろうとなかろうとおいしければいいんですけどね。 |
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949 | (題名なし) 中年のカトちゃん 投稿日:2002/7/31(水)00:09 |
電子マドレデウスは、是か非かで盛り上がっていますね! 僕も横から口を挟ませてください。と言っても、彼らのアルバムの全てをもっているわけではなく、軽軽しくは論じられないとは思いますが・・・。 まず、こうした音楽談義をするとき、私タチは自分の音楽的嗜好や趣味を語ったり、自分の思想や考え方・生き方をあわせて語っているとおもいます。 そうしたことを、前提に話をすすめさせてもらいますが、彼らは、すでに4枚目のアルバム「陽光と静寂」の中で、リーダーのペドロさんがこう語ってますよね。「自分たちはいままで、ポルトガルの風景を音にしてきたんだ。」と、「でも、それでは自国の人たちにしかわかってもらえない。」これからは、「地球の行く末を憂い、いかにして未来を切り開いていくのかをテーマに音楽を描いていくんだ。」と、それは「平和へのメッセージ」ともつながっていくーということ。つまり、グローバル化的な音楽の志向をこのあたりから始めてきんだと思います。そう言う意味では真否さんが言われるように、彼らの現在の座標点は、かれらが進んできた関数の到達点でもあると思います。ただ、僕は、彼らの初期のアルバムを通し、まだ見ぬポルトガル・リスボンの風景を思い浮かべただけでなく、ファドのテーマでもある、暗愁や懐かしさ、心の安らぎみたいなものを自分の過去を重ね合わせる中で 感じ取ってきました。まさに、彼らのポルトガルをイメージした、アコースティックなサウンドから。そこには、中世ルネサンスの味付けだけではなく、よりポルトガルの今を感じさせ、トラッドなものをも感じさせる何かがあったように思います。つまり、具象性のなかに僕は、むしろ人間としての 共通な感性をも感じ取っていたと思うんです。でも、かれらが、平和や愛をテーマにするあまり、よりコスモポリタン的な音楽、つまり無国籍で、抽象的なサウンドになっていくなかでは、そうしたメッセージさえも、(僕は)伝わってこないように思いますが・・・。勿論、さまざまな民族の音楽の交叉や時代を経た音楽との交流を否定しているつもりはありません。それは、ファドの音楽成立そのものを否定することにも繋がるから。 A・ロドリゲスは、ファドを国際的に広めた人でしたが、同時にいろんなチャレンジをもした人だと思ってます。たとえば、旧来型の伴奏だけではなく、レコーディングではオーケストラやかなりサックスを聞かせた演奏の中で歌ったり、当時の流行りのシャンソンやボッサ・ノーバの曲を歌ったりなど。でも、ナショナリズム=サウダーデは大切にし、そこからメッセージを送ってきたと思うんです。だから、民族が違っても多くの人たちから彼女の歌が愛されてきたのだと思います。勿論、当時の歴史的制約や独裁国家ゆえの表現の限界性もあったでしょうが・・・。 で、マドレデウスです。かれらのチャレンジは吉とでるのか凶とでるのか、それは受け取り手である私タチ大衆の動向にかかっていることでしょう。勿論、一定の時間的スタンスも関係してくるでしょうが・・・。私には、そうした点で軽軽しくは言えませんが、ただ個人的には、彼らのムーブメントは遠ざかる風景を自分は見送っている気がしないでもありません。(まとまらぬ文章でスミマセン。) |
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950 | 黒 真否 投稿日:2002/7/31(水)03:37 |
「考えがあってカバーに承諾したんかいコラ」というのは『マドレデウスの次なる意図』を否定していると捉えてよろしいのでしょうか。しかしこれだと矛盾を孕みますよね。というより自己否定をともなう。共感という言葉が使われていますし。 それ相応の認識は必要かもしれませんが、加藤さんが仰るように、また音楽そのもの昔のマドレデウス作品から、今の方向性を窺うことは可能ですよ。それを窺いもしないばかりに今を否定しているのではないかと。ということは当然過去の作品を間違えて聴いていたということですよ。或いは、音楽家と音楽を切り離して聴いているということですよ。音楽家と音楽を切り離すのは、テクノ的で、(テクノが必ずしも享楽的であるということはありませんが)享楽的です。いや、踊るテクノですら切り離さないのが本当のところです。実は、聴くということの性質上、普通は切り離せないんですね。要は、自分の立てた音楽家像を疑うか否かということだと思います。疑いもしないで踊っていられる人間と同じということにはなりたくない。 特定の音楽は同じ価値を備え続けると思いますか? 僕は、聴き手において備え続けはしないと思うが、しかしレコードに収められたものは永久に同じものだと思います。時には聴取の修正が必要なのではないでしょうか。料理人は、さらにおいしいものを作ろうとして、できない場合もありますよ。自分本位で満足するだけの同じ料理ばかりを食べ続けたいですか。これはもっとも悪く言えば自惚れですよ。マドレデウスを自分の思い通りの人間に仕立て上げたいですか。音楽家は、聴き手各々が思い込んでいるような人物ではないですよ。 なんだか、テレビに登場して娘を英才教育する悪役の母親みたいですね。テレビの世界かと思ったら、実は違って、それゆえ、苦しい音楽を生み出さざるをえない連中もいるかもしれませんね。わけのわからん勝手な像を立てられて。それで音楽が優れるならば、ある意味、ありがたい矛盾ですが。踊りたいなら疑わずに踊ってればいいんですが、これには功罪があります。共感を確定してしまうなら、たとえそれが音楽家の意向であろうとも、わかろうともしない外野があれこれ言っている方がまだましです。音のみに共鳴しているのがもっとも罪もなく音楽的です。 音楽なんだからいいじゃないか、などという論理は、あまり通用させたくありません。音楽だけはなぜだか特殊なのですが。特殊であることが当たり前なのですが。つまり自由に解釈することが当たり前なのですが。こういう事態は、文学や絵画や映画などでは、あまり起こっていないのではないでしょうか。レコードという『簡易物』に原因があったりするのかもしれないですね。それだけに僕はレコード聴取という行為に真剣でありたいのですが。 唯一絶対の解釈というものは、あるんです。なくても、あるということは前提にされねばならないんです。対話が成り立つ時点で、必然的に前提にされているわけですからね。対話が成り立たない時というのは、言うまでもないでしょう。 |