アルバム比較:悶絶度

音楽や映画に対してよくなされる、5点満点中いくつといった採点を私は好まない。一作一作に出来不出来があるのは当然としても、自分がそれぞれに思い入れを持っているものを、芯までしゃぶりつくすくらいの気概で向き合いもせずに、まあこんなものだねと軽く採点されているのを見ると、大切なものを汚された気がするからだ。たとえ褒めていても、である。(Amazonに寄せられるレビューなどはその最たるもので、あれもこれもケチを付けたいが、きりがないのでやめておく。)読んでいて不快にならない採点サイトもないわけではないのだが、正直言って私にとっては、そういった採点作業は手に余る。

さて、このコラムで行うのは「悶絶度」の計測、つまり聴いて打ちのめされた、鳥肌が立った、そんなインパクトの度合いの比較である。ここで強調しておきたいのは、悶絶度の高低は、アルバムの出来不出来とは必ずしも一致しないということ。比類のない緊張感を湛えた傑作もあれば、比較的落ち着いて聴ける傑作もある。つまりここでいう悶絶度とは、アルバムの要素のごく一部を極めて主観的に比較したお遊び的数字に過ぎない。当然各アルバムへの私自身の評価や好みとも比例しない。尚「参考意見」とあるのは、ある知人に(私の付けた数値を知らせずに)意見を寄せていただいたものである。採点は5点満点の相対評価による。

アルバム名 悶絶度 寸  評 参考意見
マドレデウスの日々
Os Dias da MadreDeus
私が唯一BGMに流しても苦にならないマドレデウスのアルバム(なるべくなら集中して聴きたいけれど)。18歳当時のテレーザの艶やかな歌声は、2作目以降と異なり、どこか楽しげでさえある。とはいえ、ハッとなるような緊張はそこここに潜む。悶絶度は1としたがアルバムの完成度が低いわけではない。 ★★
海と旋律
Existir
★★★
前作から一転して緊張度の高い曲の多い1枚。このアルバムをマドレデウスの最高傑作と評する人は多いが私は同意しない。まだ試行錯誤の跡が見られ、あくまで頂点を極める途上の作と位置付けたい。それだけに変化に富んで面白いのも確かだが。知人と最も計測値が離れたアルバム。
陽光と静寂
O Espírito da Paz
★★★
★★★
5点満点中6点。などと言うと、さも奇っ怪な音が聴こえて来そうに思われるかも知れないが、さにあらず。むしろこれほど穏やかな音楽はないと言っても過言でないほどの、完全なる調和の世界。しかし同時に、これほど激しい音楽もなく、S氏によるレビュー(現在は閉鎖)内の「俺を殺す気か」はこのアルバムの凄まじさを言い表す秀逸のフレーズと言えるだろう。
ボーナストラックとして「海と旋律」が収録されているのは別の意味で悶絶度極大。アルバムの統一感が台無しだ。
★★★
★★
アインダ
Ainda
★★★ 1曲1曲を見ると悶絶度の高い名曲が多いが、全体としては緩急が織り交ぜられ、マドレデウスのアルバムとしては(語弊はあるが)聴きやすい。人に薦める最初の1枚として無難ではあるが、反面軽く聴き流されがちな危うさもある。 ★★★
風薫る彼方へ
O Paraíso
★★★
弛緩型名曲の目立つ1枚(もちろん緊張型の名曲もある)。ならば悶絶度は低いのかというと、その弛緩の度合いが桁はずれと来ており、私の数値は高めになっている。テレーザの歌唱に以前より温かみが加わってるということもあり、参考意見の「アインダ4、風薫る彼方へ3」の方が賛同者は多いかも知れない。 ★★★
ムーヴメント
Movimento
★★★
★★
随所に地雷が仕掛けられたこのアルバムは、「陽光と静寂」に匹敵する怖さを持っている。「陽光と静寂」の“静”、「ムーヴメント」即ち“動”は両作品の特色をよく表している。(ちなみに前者の原題を和訳すると「平和の精神」となる。) ★★★
★★★
無限の愛
Um Amor Infinito
★★★ 「風薫る彼方へ」以降の新編成による音楽は、前作により頂点を極められた。続く2作品は、その実力を如何なく発揮した「佳作群」という印象が強く、どちらかというとボディブローのように効いて来るアルバムだ。それを短絡的に「低迷」「停滞」と評する向きも見られるが、両作共にそんな迷いとは無縁の完成度を持っている。「斬新さ」という刺激ばかりを求めて音楽を聴くようにはなりたくないものである。 ★★
美しき我が故郷
Falous do Tejo
★★ ★★★

なぜ「悶絶度」か

今でもはっきり憶えている。横浜のとあるCD店での、マドレデウスのベストアルバムの紹介文を。

「BGM感覚で聴き流せる癒し&なごみの1枚です。」

今思い出しても沸々と怒りがこみ上げる。BGM? 癒し? なごみ? 潰れてしまえ。

マドレデウスが琴線に触れる人もいれば触れない人もいる、そんなことはわかっている。琴線の触れ方だって千差万別、それもわかっている。縁とはそういうものだから。

しかしこれだけは言っておきたい。畏れと、驚きと、戦慄をこれでもかこれでもかと聴き手に与え、人を文字通り「悶絶」させ得る――マドレデウスの音楽は、テレーザの歌声は、それほどの力を持っているのだと。

私などは、マドレデウスを聴く時は遅くとも3日前より断食し、頭から水を20杯かぶって身を清めた上で正座して聴くことにしているくらいだ。というのはウソだが、多くのアルバムは、ある程度の気構えを持たないことには、とても聴けたものではない。顔馴染みのポルトガル料理店に行く時は、マドレデウスをBGMに流さないよう前もってお願いしている。(それで流されるのがアマリア・ロドリゲスだったりしても、まったく平気である。アマリアのファンには怒られるかも知れないが、私とアマリアの「縁」はその程度だったと言うしかない。この先変化しないとも限らないけれど。)

マドレデウスをどう聴こうと、またどう感じようと、それはその人の勝手である。だが、一度さらりと聴き流してしまった人にも、いつか大きな発見があるかも知れない、とんでもない驚きが襲うかも知れない、そんな可能性を頭の中のほんの片隅に置きながら、繰り返し耳を傾けてくれたらと思う。(2007/5/23)


読み物一覧

トップ